※『フクロウ その歴史・文化・生態』デズモンド・モリス著 伊達淳訳 白水社を参考に書いています。
だれでも知っている鳥
だれでも知っている鳥、フクロウ。でも、実際に野生のフクロウを目にすることはほとんどありません。というのも、夜にならないと行動を始めない引っ込み思案の鳥だからです。おまけに飛ぶ時も音を立てません。
どうして多くの人がフクロウのことを知っているのか?
野生のフクロウを目にすることはほとんどないのに、多くの人がフクロウの姿かたちを知っています。それはどうしてなのでしょう? 答えはそのユニークな顔の形状にあるようです
人間の頭をした鳥と呼ばれたフクロウ
フクロウは、人間と同じように、頭も幅が広くて丸く、顔は平らで、左右に離れた目は前をじっと見ています。人間と似ているというのは、ほかの鳥には見られない特徴です。古くには、フクロウのことを人間の頭をした鳥と呼んでいた時代もあるそうです。
目の表情が人間のように見えるフクロウ
私たちがフクロウのことを知ったつもりになるのは、目の表情が人間のように見えるせいのようです。まっすぐと前を向いた目のせいで、フクロウを見ると、フクロウを見ると鳥でありながら、自分の身近な人を目の当たりにしているように感じてしまいます。
フクロウにわずかな恐れを抱くことも
フクロウを見ると、身近な人を目の当たりにしているように感じると同時に、わずかな恐れを抱くようにもなります。賢いフクロウが、夜中にならなければ姿を現さないということは、何か悪いことを企んでいるのではないだろうか? というようにです
フクロウは鳥類の中で最も古い種の1つ
フクロウは少なくとも6千万年前にはすでに1つの種として存在していて、鳥類の中で最も古い種の1つです。人類がズカズカとフクロウの世界に侵入してきたのは、長い歴史を持つフクロウたちにとっては、ほんの最近のことなのです。
人間がフクロウの世界に侵入したことによって
人間がフクロウの世界に侵入しても、他の多く鳥類とくらべると、侵入によってこうむった被害は少なくてすみました。しかし、野生の鳥である以上、生息地の多くが破壊され、森や山が削られ、害虫駆除剤によって獲物となる生き物が汚染されていきました。
人間の破壊活動に負けないフクロウ
人間がフクロウの世界に侵入したことによって、フクロウが生きる環境が破壊されていきました。しかし、人間の破壊活動にも負けず、フクロウはいまだ世界中の多くの地域に生息しています。
古代のフクロウ
約3万年前のフクロウの絵
人間は太古からフクロウの存在を知っていました。その最も古い証拠として、約3万年前のものがあります。フランス南東部の地下洞窟の壁面に有史以前のものと思われる絵が描かれていて、馬、鹿、マンモスなどのほかに、フクロウの絵が刻まれているのが発見されたそうです。
古代エジプトのフクロウ
古代エジプトの建造物に飾られたレリーフには、見事なフクロウの絵が描かれています。他の鳥や動物はすべて横から見た姿で表されていますが、フクロウに限っては胴体部分は横から描かれているのに、頭は90度回転して真正面を向いています。
フクロウのミイラ
古代エジプトの宗教では、タカやコウノトリのように際立った役割を与えられていませんでしたが、それでも十分に敬意を払われていたので、時おり防腐処理を施してミイラとして保存されることもありました。複数の種のフクロウのミイラが確認されているそうです。
人間の顔をした鳥、フクロウ
古代エジプトでは、「カー」(生命力)と「バー」(人の霊)が結合した「アーク」と呼ばれる永遠の精霊は死後も生き続けるとされていました。死者の肉体が死後の世界で生き続けるためには、バーは夜ごとに墓に入っているカーのもとに戻る必要がありました。この夜ごとの移動をする際に、人間の頭をした鳥になると考えられていました。この人間の頭をした鳥というのは、墓に周辺に出没するフクロウに由来すると指摘されています。
古代ギリシアのアテネではフクロウを重宝していた
古代ギリシアの都市国家アテネ(古代ギリシア語ではアテナイ)ではフクロウを象徴として重宝していました。アテネという地名は、この地の守護女神アテナにちなんで名づけられたものであり、フクロウはその女神にとって神聖な生き物とされていたそうです。
古代アテネの硬貨にはフクロウがあしらわれていた
古代アテネでは、数百年の間、使用されていた硬貨の片面には女神像、もう片方にはフクロウがあしらわれていました。古代アテネの硬貨のフクロウは、たいてい体は横向きで、頭は前を向いた姿で描かれています。少数ですが、正面を向いて翼を広げたものもあります。
計量カップにフクロウの絵
アテネのフクロウは、古代ギリシアの陶磁器にも描かれています。とくに「フクロウのカップ」と呼ばれる紀元前4世紀の小さな計量カップが有名です。カップにフクロウの絵をあしらうことによって、計量道具として正式に認定されたものことを示していたのです。
古代ギリシアの人々にとってフクロウは崇拝の対象であり、幸運をもたらす存在とみなされていたようです。フクロウの姿をした女神アテナが戦場に現れると、それはギリシア軍の勝利を予言する証拠だと考えられていました。ギリシア軍のある将軍はフクロウを入れたかごを荷物にしのばせ、頃合いを見計らってそのフクロウを放ち、自軍の上空を飛ばせ、勝利をつかむために必要な勇気を部隊に与えたといわれています。
古代ローマでは魔女がフクロウに変身したと信じられていた
古代ローマでは、人々が信じていた迷信の1つに、魔女はフクロウに変身し、眠っている赤ん坊の上に舞い降りてきて生き血をすするというものがありました。この迷信によってフクロウは吸血鬼の仲間入りをしてしまうことになります。フクロウがホーホーと泣いているのが聞こえるのは、魔女が近づいているからか、もうすぐだれかに死が訪れるからだとされました。
フクロウは墓石の上で踊る魔女の使い
古代ローマでは、フクロウは死者の眠る墓石の上で踊る魔女の使いだとも考えられていました。フクロウはしばしば墓地の周辺で飛んでいることがあり、フクロウが獲物を捕まえるときの動きはまるで踊っているかのように見えたのでしょう。
古代中国ではフクロウのブロンズ像が作られていた
古代中国、殷(いん)王朝の工芸家たちは、精巧で美しいブロンズ像を作っていました。その中には、見事な文様などのデザインが施された立派なフクロウ像がたくさんあります。「尊」と呼ばれる愛嬌のある小さなブロンズ製の酒器になっています。
2本の肢と立派な尾の付け根部分を三脚代わりにして座っていて、祖先崇拝の儀式に使われていたと考えられています。じっと見つめる目は大きく、頭には左右に2つずつの羽角がついています。胸には雄牛の頭の形をした浮彫細工のエンブレムになっていて、翼は2匹の蛇がからみ合ってできています。頭部は取り外しが可能なふたになっていて、開閉がしやすいように持ち手がついているものもあります。持ち手も小さな鳥の形をしています。
フクロウは恐ろしい存在とみなされた
その後の中国では、フクロウを自分たちの仲間である賢い鳥ではなく、暴力的で恐ろしい存在、夜行性の邪悪な肉食鳥とみなす時代がありました。どういうわけは、フクロウは怪鳥で、ひなは母鳥の目をくり抜いて食べてしまうと信じられていたのです。
フクロウと稲妻
古く中国では、フクロウは稲妻とも結びつけられていました。これは、フクロウが夜を照らすものといわれていたためで、稲妻に打たれるのを防ぐためにフクロウの彫像を家の片隅に置くという古いしきたりがありました。
古代モチェ文化のフクロウ
古代の南北のアメリカでもフクロウをモチーフにした作品は頻繁に発掘されています。とくに紀元100年から800年ごろまで栄えたモチェ文化のものとして、さまざまなフクロウの陶磁器が見つかっています。モチェ文化においてフクロウは象徴として重要かつ複雑な存在とされていました。知恵と呪術師を表す一方で、斬首の儀式にたずさわる戦士や死後の魂の象徴だったともいわれています。
重要な役割を果たしてきたフクロウ
古代文明にとって、フクロウは神話や伝説の中ですでに重要な役割を果たしていたのです。エジプトから、ヨーロッパのギリシアやローマ、さらには中国や南米まで、フクロウは描かれ、像を作られ、その名は各地の言い伝えの中に居場所を見つけてきたのです。
シンボルとして
邪悪な精霊とみなされたフクロウ
何千年もの間、フクロウは邪悪な精霊とみなされ、夜な夜な獲物となる人間を探して音も立てずに空を飛び回って危害を加えようとしていると思われてきました。その印象は不気味な鳴き声のせいで増幅され、破壊や破滅、死の死者といったレッテルを貼られることもしばしばありました。
無害で、潔白で、害虫を食べてくれるフクロウを、まったく正当な根拠なく、うっとうしいものとしか見ていなかったのは、古代ローマ人に限りません、他の多くの文化圏でも同じように扱われてきたのです。
フクロウは女神のための乗り物
アジアではヒンドゥー教が信仰されている地域で、フクロウは2つの象徴とされています。第1の役割は、女神のための聖なる乗り物です。女神とはラクシュミーと呼ばれる富と繁栄の女神で、彼女の乗るフクロウはサンスクリット語でウルーカと呼ばれています。
ただし、フクロウは女神とかかわりがあるとされているにもかかわらず、インドの一般の人たちに好意を持たれておらず、凶兆の象徴、不運をもたらす鳥とみなされています。フクロウが家にやってくると何かよくないことが起きると信じているのです。
賢い鳥、フクロウ
今では、フクロウは親しみやすく賢い鳥というのが、一般的なとらえ方といえるでしょう。古い時代の、魔術師とか破壊の使者という見方は、ほとんど過去の迷信とされています。フクロウの特徴として賢明さがあるのは、頭の形が人間に似ているからだという理由によります。幅の広い顔でまじめそうな大きな目をこちらに向けてぱちくりとさせられると、フクロウにも私たちと同じように知性を備えた脳を持っているという印象を持ってしまいます。
フクロウは周囲の話を聞くばかり
ヴィクトリア朝時代の一般の人々は、フクロウを邪悪な鳥ではなく、賢明な鳥とみなしていました。当時の雑誌に次のような詩が掲載されていたそうです。
樫の木に1羽のフクロウが住んでいた
フクロウは周囲の話を聞くばかり、自分はほとんど話さない
自分はほとんど話さずに、周囲の話を聞いてばかり-
ああ、人間もみなこの賢い鳥のようであったなら
お守りや魔除けといった役割
フクロウは、死や凶兆と関連づけられているにもかかわらず、凶運や悪霊から持ち主を守るお守り、あるいは魔除けといった役割を求められてきました。その理由は、フクロウが死の使いであれば、その力を自分にではなく相手に向けると想像することで幸運のフクロウとすることができるからです。つまり、フクロウが恐ろしい存在であれば、自分の敵をおびえさせるように利用すればよいというわけです。
悪霊を退治するフクロウ
アジアでは、トルコやモンゴルなどで、フクロウは病気の原因となっている悪霊を退治するという信仰があって、病気で寝ている子どものゆりかごの近くでフクロウを飼うところもあるそうです。
幸運のお守りや魔除けとして人気のフクロウ
地中海に浮かぶバレアレス諸島のミノルカ(メノルカ)島でも、フクロウはお守りとして利用されています。ミノルカ島の人々にとって幸運のお守りや魔除けとして人気のある存在で、悪霊から身を守り、邪悪な目をたじろがせるために、ペンダントにして首からぶら下げたり、自宅に陶磁器を置いたりしているそうです。家の中に置いて家内の人間を不運から守るとされているフクロウは、たいてい白い陶磁器製で、赤やオレンジ、紫、緑、青など鮮やかな色を使った文様があしらわれています。
象徴としてさまざまな役割を担っているフクロウ
フクロウは象徴として、さまざまな役割を担っています。夜行性の肉食鳥であることから邪悪とされ、素早く優雅に飛び回ることから神々の乗り物とされ、まじめな表情であることから賢いとされ、力強い鉤爪を持つことから守り手とされています。実に多方面にわたって象徴的な意味合いを持つ動物はほかにはなかなか見当たりません。
生態や特徴など
フクロウは夜にのみ活動する
フクロウは肉食で、ほとんどの種は夜にのみ活動します。少数ですが、寒い北極圏に生息するシロフクロウのように昼間に狩りができるように適応した種もいるそうです。フクロウは視力が優れていて、素晴らしい聴力があり、幅の広い頭の形で、見ただけですぐにフクロウとわかります。
飛ぶときに音を立てず、独特の足の形をしているフクロウ
フクロウは肉食鳥として非常に有利な特徴を持っています。それは、大半のフクロウは飛ぶときに音を立てないことです。ただし、中には例外があって、音を立てて飛ぶ種もいるそうです。また、フクロウは対趾足(たいしそく)と呼ばれる独特の足の形をしていて、2本の爪が前を向いていて、2本が後ろを向いています。ほかの鳥はたいてい3本が前を向いていて、後ろを向いているのは1本だけです。
孤独を好むフクロウ
フクロウは社交的ではなく、どちらかというと孤独な存在です。他の個体とは離れて過ごし、昼の間は眠り、夜になると単独で狩りをします。例外は繁殖期ぐらいです。孤独を好む性格にもかかわらず、英語にはフクロウの集合名詞が存在します。フクロウの一群のことを「フクロウの議会」(parliament)と呼ぶそうです。
複数羽で眠ることもあるフクロウ
孤独を好むフクロウですが、安全なねぐらが確保できない場合は、やむなく複数羽で眠ることもあるそうです。眠っている間は敵に狙われやすいので、孤独に過ごしたいという欲求と昼間の安全性が秤(はかり)にかけられているのです。大きくて魅力的なうろのある木が1本あって、近くには他にねぐらとなるところがなければ、あくまで便宜上の共同寝室として、そこでみんなで一緒に眠ることがあるのです。
茶色の羽毛がカモフラージュになる
ねぐらとして適当な場所がない場合は、高い枝にとまって幹に寄り添うように眠るしかありません。こういうときに重要になってくるのがまだら模様の茶色の羽毛です。樹皮を背景にカモフラージュになります。切り株の上にとまって、そのまま切り株の続きのような姿勢で眠るフクロウもいるそうです。切り株の上でじっと動かず、目もしっかり閉じているので、そこにフクロウがいるとは思われません。